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【石川大徳】後編「ケガで苦しんでいる選手たちのサポートがしたい」

2016.12.31

|とにかく試合に出場したいと思い決断した移籍

プロ3年目で出場機会を大きく伸ばし、所属するサンフレッチェ広島としてもJ1初優勝という結果を残せたことで、石川大徳は希望に満ち溢れていた。ところが2013年シーズンに向けて始動すると、すぐにアクシデントに見舞われた。

「自主練のときに足首を捻挫してしまったんですよね。その痛みがなかなか引かなくて、キャンプ中も取れなかったんです。ただ、それでもゼロックススーパーカップ、ACL(AFCチャンピオンズリーグ)、それと浦和レッズとのJ1開幕戦では先発させてもらえたんですけど、明らかにコンディション不良で、その浦和戦を機にスタメンから外されたんです。自分でも仕方がないって思えるくらい、その3試合のパフォーマンスは最悪で。なんか、1本ダッシュするだけでも足が吊りそうな感覚だったんですよね」

浦和戦を機に、明らかに出場機会は減っていった。ミキッチが体調を崩し、再び先発のチャンスが巡ってきたが、そのタイミングで肉離れを起こして自身も戦線を離脱するなど、「負の連鎖」が重なった。

「(6月の中断期間中に行われた)室蘭キャンプでようやく復帰したんですけど、それまでは本当に調子が上がらなくて。自分自身でも試合に出られないことは理解できていた。ここから巻き返してやろうって思っていて、ようやく調子も上がってきたんですけど、それでもメンバー入りすらできなくて……とにかく試合に出たかったので、理由をポイチさん(森保一監督)に聞きにいったりもしました。そのタイミングで、ちょうどベガルタ仙台から移籍の話をもらったんです」

どこかで、他の選択肢はないだろうと思っていた。「移籍先がなければ、広島でやるしかない」と腹を括るつもりだった。ただ、探してみたら、自分を必要としてくれるクラブがあった。石川は誰よりも慕う佐藤に相談すると、こう言われた。

「昨シーズン、ノリ(石川)があれだけの結果を残したから、オファーが来たんだと思うよ」
石川は思いの丈を佐藤にぶつけた。

「仙台に行っても試合に出られる保証はないかもしれないですけど、チャンスがあるならそれに懸けてみたいんですよね」

自身も環境を変えることで、成長してきたエースは、こうアドバイスしてくれたという。

「やっぱり、試合に出たいよな……。その気持ちは分かるよ。個人としては寂しいし、残ってほしいけど、ノリが決めることだから決断を尊重するよ」

2013年8月11日、石川は広島から仙台へと期限付き移籍することになった。シーズン途中で加入した仙台では、8試合に出場して1得点の成績を残す。

「もう少し試合に出たかったですね。でも、この年、グロインペインみたいになってしまって、振り返ると本当にこの1年はケガに悩まされましたよね」

|試合中にアキレス腱を断裂。思わず後ろを振り返った。

このまま広島に帰ることはできない。だから石川は、引き続き仙台でプレーすることを決めた。2014年の仙台は、手倉森誠監督が退任して新体制でのスタートを切っていた。ところが、開幕から3試合未勝利。石川はベンチ入りするも途中出場すら叶わずにいたが、同ポジションの菅井直樹が負傷したことで、3月29日のJ1第5節、ヴァンフォーレ戦でようやく先発出場の機会が巡ってきた。

「この試合で結果を残せれば、レギュラーに定着できるチャンスだった」

石川は甲府戦をそう振り返る。事実、チームはホームの大声援という後押しも受け、1-1で善戦していた。勝ち点3は得られずとも勝ち点1は獲得できる。そうした思いも過ぎりはじめていた後半41分だった。

「誰かに蹴られたのかなって思ったんですよね。だから、倒れた後、思わず後ろを振り返ったんです。そうしたら誰もいない。そこで分かったんですよね」

左足のアキレス腱を断裂する大ケガだった。

「何かが弾けたみたいな感覚ですよね。『あぁ、これが噂に聞いていたやつか』って思いました。トレーナーが駆け寄ってきて、アキレス腱を触ったら、もうプニプニしてて。誰かから話を聞いたことはあったので、意外と冷静ではありましたけど」

全治6カ月——「まさに試合に出られた矢先のケガ」だった。そのときの状況を振り返った石川は、さらに語る。

「長い道のりでしたよね。最初は動けないから、上半身しか強化できなくて。装具をつけて徐々に角度を付けていくんですけど、左足のふくらはぎが以前より明らかに細くなってしまって。今もですけど、いくら強化しても、結局、元には戻らなかった」

その年のJ1最終節、奇しくも広島戦でメンバー入りした石川だが、出場することなくシーズンを終えた。

「明らかに足が遅くなったんですよね。今までなら突破できたような場面でも、相手を振り切ることができなくなった。守備でも逆に相手に振り切られることも多くなって……。悩んだ末に考えついたのが、僕がプロ1年目のときに対面していた(服部)公太さんの動きでした。タイミングを計った一瞬の動きで相手を抜くことができればと思って、身体能力で勝負していたそれまでの自分から、予測や状況判断でカバーしていくようなプレーに変えました」

広島との契約は残っていたが、石川は大分トリニータへの期限付き移籍を決断する。舞台はJ1ではなくJ2。当時、監督を務めていた田坂和昭には「どうしたら試合に出られるか、何かを変えればいいのかを何度も聞きに言った」という。その後、大分は成績不振により監督が交代。それでも変わらない状況に、石川はシーズン途中で水戸ホーリーホックへと移籍した。

|どこに行っても変わらなかったサポーターの気持ち。

2016年はザスパクサツ群馬に完全移籍したが、ここでも石川に出番はなかった。広島でも仙台でも、それこそ大分でもそうしてきたように「自分としては調子もよかったので、納得できなかったから監督に話を聞きにいきました」と言う。ただ、試合に出場できない状況が続き、かつてのようなプレーができない自分と向き合う中で、ひとつの思いも駆け巡った。

「群馬にいるときですかね。このままサッカーを続けていくのは難しいかなって思ったときもあったんですよね。この3年間、ずっともがいて、あがいてきたけど、以前のようなプレーをすることはやっぱり難しいのかなって。それは妻とも話しました」

それでも一縷の望みを懸けて今夏には、J3のSC相模原へと期限付き移籍した。

「J3でも抵抗はなかったですね。自分としてはとにかく試合に出たいという思いがあった」

ただ、相模原では不慣れな左SBで起用されたこともあり、やはり結果を残すことはできなかった。

「大分でも群馬でもそうでしたけど、自分のやるべきことはやってきた。自分の意思や思いも伝えてきたから、それでモヤモヤすることはなかった。ただ、それでも使われなかったというだけです。移籍したのも、自分の信念を貫いた結果ですからね。アキレス腱を切ってから、その前のトップフォームには一度も戻らなかったし、明らかにプレーが落ちていることも分かっていた。正直、その現実と向き合うのは辛かったし、苦しかったですけど、起こってしまったことは仕方がないですし、そのたびに、次にどうするかを考えてきました」

J3の相模原でプレーしているとき、フッと思い出したのが、広島でのプレーだった。

「J3では正直、出してほしいタイミングでなかなかボールが出て来なかった。ここでもらえればベストというタイミングでパスが出て来なかったんです。そのとき思ったのが、アオくん(青山敏弘)はすごかったんだなってことでしたね。常に逆サイドのことも見てくれていたし、守備でも僕が縦を切って、相手が内側に行けば、必ずそこでボールを奪ってくれた。J3でプレーしてみて思ったのが、若い選手たちが行動するよりも前に言い訳すること。自分の理屈を言う前に、まずはチャレンジしてみてほしかったなって思いました」

引退を決意したとき、最初に連絡したのがかつてのチームメイトであり、尊敬する先輩でもある佐藤寿人だった。

「引退しますって言ったら、『さみしいなぁ』って言ってくれました」

28歳だけに、まだまだできるという周囲の声もある。ただ、自分自身に後悔はなかった。

「28歳で現役を引退することになりましたけど、プロになれたことが奇跡だと思ってましたし、この7年間でほぼクラブレベルではすべての大会でプレーできました。J1からJ3、ナビスコカップ(現・ルヴァンカップ)にACL、それにゼロックススーパーカップに、あとはクラブワールドカップにも出られたんですから。選手としては、大成しなかったですけど、何よりこの世界に入っていろいろな人に出会えたことが自分の大きな財産になりました。だから引退も悩まずにスパッと決められましたね」

ユニフォームを脱いだ後は、自分もお世話になってきた代理人のもとで、選手のサポートをしていくことが決まっている。

「アキレス腱を切ってから今日まで、自分も代理人の人にかなり面倒を見てもらったので、まずは恩返ししたいですね。あとは、日本代表に選ばれるようなスター選手のケアもいいですけど、僕はどちらかと言えば、ケガで苦しんでいたり、試合に出られず悩んでいる選手たちのサポートがしたい。その気持ちは痛いほど分かりますから」

7年間のプロ生活を振り返り、潔いほど、すっきりとした顔でこう答えた。

「正直、自分自身のサッカーの理想とかけ離れて、落ちるところまで落ちたなとは思いました。でも、上から下までいろいろなカテゴリーでプレーしたことで得たこともあります。やるサッカーも環境も全く違いましたからね。ただ、唯一、変わらないのが、クラブを愛するサポーターの人たちの気持ち。それはクラブの規模とかは全く関係ないんだってことを感じた。僕の引退に関しても、プレーしてきたそれぞれのクラブのサポーターが寂しがってくれましたからね。そのおかげで、僕も少しはサポーターの人たちに愛されていたんだなって感じることができたんです」

目を見れば、すでに次を見据えていることが分かる。「現役生活よりもこれからの未来のほうが長いですからね」と言って笑った石川は、最後にこう言った。

「これからのほうがみんなと関わっていける時間も長いと思うので楽しみです」

取材・文/原田大輔

<プロフィール>
石川大徳 ・ いしかわひろのり
1988年1月6日生まれ、東京都出身。流通経済大学を卒業した2010年にサンフレッチェ広島に加入。プロ3年目となる2012年に出場機会を増やし、チームのJ1初優勝に貢献した。2013年途中にベガルタ仙台へ期限付き移籍するが、翌2014年にアキレス腱を断裂する大ケガ負う。2015年には大分トリニータ、水戸ホーリーホック、2016年はザスパクサツ群馬、SC相模原でプレーし、今シーズンをもって現役を引退することを決意する。今後は選手の仲介人としてセカンドキャリアをスタートさせる。

>>前編「プロ初アシストが佐藤寿人さんだったことがうれしかった」

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